サクラ大戦V妄想回顧録

夢か現か…思い入れ深く『サクラ大戦』をプレイした結果、そこでの体験がリアルなもう一つの人生経験のように感じている…そういう方々が、実はプレイヤーの中には多々いらっしゃるのではないかと思います。サクラとはそんなミラクルが生じた作品であり、わたくしもそのミラクルにあてられた一人。そんなわたくしが、かつて“太正”時代に“経験”した事を記憶が混濁したまま綴ります。今思い出しているのは1928年以降の紐育の記憶。これは新次郎であり、現代の他人であり…という、人格の混ざった記憶それ自身による、混乱した、妄想回顧録です

11.ある少女にとってのヒーロー

f:id:RBR:20190802171102j:plain

ローラースケートを履いてウェイトレスをするプラムさんは、まさにシアターの名物でしたね。ショーを観ない日にも、プラムさん目当てでいらっしゃるお客様が、本当にたくさんいらっしゃいました。

 

…と言うと、シアターにお越しになったことのない方は、きっとグラマラスでセクシーなプラムさん目当てのおじさまたちが詰め掛けたのでは…とお思いになるかもしれませんけれども(それも大いにありましたが)…

 

実はプラムさんがその人気を一身に集めていた一番のお客様というのは、少年少女たち…お子様たちだったんです。

 

年齢一桁台くらいの小さい子だと、当然男の子にも女の子にも人気でしたし、特に女の子には、ローティーンからハイティーンの子まで、本当に格別の人気がありました。

 

なのでシアターのカフェスペースには、すごくご家族連れが多かったです。たぶんですけど「スケートのお姉ちゃんが見たいー!」と、せがまれたりしたんでしょうね…w

 

どうして人気だったのかと言うと…それはもう…端的に、カッコよかったからだと思います。まずビジュアルが素晴らしいですからね…w ガーッとローラースケートを履いたお姉さんが、大好きなサンデーを自分のところにまで届けてくれるわけです。くるくるっと華麗に客席をくぐり抜けながら。これはもう…お客様は皆様、喜んでくださいますよね。

 

普通はお店が混んでくると、お客様にとってはストレスになるというか、そんなに嬉しいことはないはずなんですけど…ことシアターのカフェに限っては、状況が違いました。

 

人が増えて障害物が増えてくると、プラムさんのスケート妙技がより冴え渡るわけです…w むしろ人が増えた状態の方が、お客様が喜んでたりしましたね…w プラムさんご自身は大変だったと思いますけど…w

 

逆にお店が空いてるときはスーっと難なく運べてしまうので、スケートを楽しみにしてる(らしき)お子様がいらっしゃる時は、サービスで長距離バックスケーティングをしたり、その子の前でくるくるっと回ったりして、いつもより余計に技を盛り込んだ、凝った滑りをしていらっしゃいました…w

 

制服のデザインも可愛かったですし、プラムさんはすごくスタイルも良かったですし、だけど気さくでサービス精神も旺盛でしたから…

 

少女たちのヒーローでしたね。憧れのお姉さん…みたいな感じだったのかもしれません。

 

実際、あの頃プラムさんに憧れてシアターに通っていた、ご両親に連れて行ってもらっていた…というようなお話を、たびたびいろんな方からお聞きするんですけれども…ある女の子は、プラムさんのカッコよさに憧れてモデルさんになっていたり、ある女の子は、服飾も手がけるプラムさんに影響されてデザイナーになっていたり…

 

ある女の子はその後、アメリカを代表するジャーナリスト兼フェミニズム運動家として活躍することにもなったり… そうです、例の雑誌を創刊した…グロリア… 意外かもしれませんが、彼女にとっても、プラムさんは憧れであり、ヒーローだったそうです。

 

そう、さっき言ったサービス滑走ですけど…w まさに彼女が、自分のためだけにしてくれたのを、ずーっと覚えてる、という話をしてらっしゃいましたね…

 

プラムさんのスケートとサンデーは、日曜日の最高の思い出だと、仰っていました。

 

そういう話を聞くと、プラムさんが社会に与えた影響の大きさを改めて感じますし…それに何より、そんなに長く、良い思い出として彼女たちの記憶に残ってるということを、心から嬉しく思います。

f:id:RBR:20190802190201j:plain