サクラ大戦V妄想回顧録

夢か現か…思い入れ深く『サクラ大戦』をプレイした結果、そこでの体験がリアルなもう一つの人生経験のように感じている…そういう方々が、実はプレイヤーの中には多々いらっしゃるのではないかと思います。サクラとはそんなミラクルが生じた作品であり、わたくしもそのミラクルにあてられた一人。そんなわたくしが、かつて“太正”時代に“経験”した事を記憶が混濁したまま綴ります。今思い出しているのは1928年以降の紐育の記憶。これは新次郎であり、現代の他人であり…という、人格の混ざった記憶それ自身による、混乱した、妄想回顧録です

7.ジュール・ヴェルヌと人型蒸気 / 霊子甲冑が着込むモノ

rbr.hatenablog.jp

前々回、人型蒸気の話題に軽く触れた折に、ジュール・ヴェルヌの名前を出しました。

 

けれども、ジュール・ヴェルヌのことを言うなら、彼はフランス人なんだから、アメリカのスタアよりもフランスのエトワールの方が関連は強いんじゃないの?とお思いの方も、一般的には…特に帝都の皆様には多くいらっしゃるような気がしたので、今回はその辺を取り上げて、人型蒸気のデザイン、そして米国におけるモダンデザインのお話しをしようかと思います。

 

…とはいえやはり、写真資料や図面を引っ張り出して、実際のデザインを逐一確認してみると、むしろ確かに、フランスの人型蒸気『エトワール』よりも、アメリカの『スタア』こそ、直接にヴェルヌのデザインの系譜だよな、と素直に思われる方が大半なんじゃないかと、そう思います。

 

ちょっとややこしいんですが、仏国のエトワールにはいくつか型番があって、初期のもの、エトワール Ⅰ とエトワール Ⅱ は、ただ単に米国から輸入したスタアをそのまま流用しているだけだったりするので、まあそれは例外だと思うんですけども。

 

だから問題は…三代目からですね。エトワール Ⅲ こと、あの洗練されたヌーベル・エトワールですね。実質そこで初めて、フランスオリジナルの人型蒸気が登場したわけです。巴里華撃団さんの光武Fにも合流したような…西洋甲冑的でもあり、スポーティでもあるような、非常に洗練された、流麗なフォルムの。エトワールといえばアレ、というイメージは大きいと思いますので、つまりは、エトワールといえば、一般的にはエトワール Ⅲ こと、ヌーベル・エトワールのことを指しているわけなんですけれども…

 

あれを初めに見た米国人の感想としては…正直、かなりのところコンプレックスを刺激されたところは、多少なりあったと思いますねー… あ、本物来ちゃったな…っていう…w まあメカニック派の人たちからちらほら聞いた話から想像するだけではあるんですけど、若干こう…複雑な気持ちが、あったと思いますねー…w 人型蒸気はウチの発明なのに…!っていう…w

 

つまりスタアのデザインは米国の…欧州への憧れがストレートに出た形といいますか。

 

あの辺のデザインの関係性、すなわち米国のスタアと仏国のエトワールのデザインラインの違い、あれはちょうど、アール・ヌーボーとデコの関係性と、同じ調子があるかと思います。

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デコという装飾様式はつまり、欧州のデザイン、そして何よりも文化の洗練感を、当時の美術界のモードな表現も取り入れながら、自分たちのスタイルにフィットする形に、いわゆるモダンにアレンジしようという試みである、とも言えるものです。

 

大分後に『巴里のアメリカ人』という映画が出来たりもしましたけれども、要はアメリカ人はお登りさんな訳ですね。国の歴史が浅いから欧州に文化を学びに行く訳です。文化を作り出すにも自国オリジナルの伝統が無いために、あるいは歴史ある欧州等から色々なものを取り入れながら、新しく作り上げなければならなかった訳です。

 

シヴィル・ウォー時代の初期スタアはもちろん、時期的に全くデコ時代ではないですけれども… それだって元は… ほら、同時期の蒸気船だって、デザインは欧州のものが元ですし。

 

だし、あの頃は人型蒸気といいつつも、まだキャラピラー走行でしたし、実質、人型の上半身がくっついただけの、戦車でしたからね。そのような初期の人型蒸気はまだデザインも様式化されていなかったと思いますが、そこから時代が降り20世紀に入って僕たちの世代になると、もう明確にアール・デコ的な路線が完成していたと思います。

 

対照的に、エトワール…そしてその後継とも言える巴里華撃団さんの光武Fシリーズも含めて良いと思いますが、それらフランスにおける人型蒸気・霊子甲冑のデザインには、未来志向というよりも、むしろ中世への回帰がありました。そこが、米国とのデザインラインとの非常に大きな違いですね。

 

せっかく人型なわけだし、人間が“着込む”ものですから、誇り高き伝統へと連結しようとする気持ちが働いて、そうなるわけです。

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その辺は、日本の光武にも同じような構図と力学が働いていると思います。霊子“甲冑”とまで称されるような物なわけですから、やはり自分たちの“甲冑”文化に根付いたデザインにしたい。そうなれば、搭乗者の指揮を高揚させる効果も見込めるのではないか、というわけです。もちろん運用目的にもよりますけれども。

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そして、それは確かにその通りで…僕自身、霊子甲冑を長年運用していた身としてよく分かるのですが、果たして海の物とも山の物ともつかぬ最新技術の塊を着込むのに際して、この機械はきちんと自国の伝統へと繋がっているのだ、という安心感が得られるという心理的効果は、搭乗者にとってある程度重要であると思います。

 

それに、最新の技術と伝統の融合という発想は、技術開発の動機と情熱を底上げする効果もある…という言い方もありますけれど、まあぶっちゃけ、いかにももっともらしい建前と言いますか、要は、偉い人を説得しやすくなるから予算が降りやすくなるという側面もありますからね…w

 

ですがその点、アメリカはそれこそ近代以降に歴史が開始されていますから、どれだけオリジナルを目指そうとしても…「甲冑」的な伝統は特にないわけです。砲撃戦が主流になって以降の歴史ですからね。

 

そこで自然と目が向いたのが、ジュール・ヴェルヌに始まるSF冒険物というわけです。同時代的な技術を土台として参照しながら、(画期的にも)未来志向のロマンを輝かせたサイエンティフィクションは、まさに近現代の魔法。アメリカという国が未来への道標とするのに、最適な世界だったわけです。海底二万マイルロマンといいますか。

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蒸気船、潜水艦…ロコモーティブにトラクター、そして人型蒸気… スタアはそういった、未来志向のロマンを内包したモダン・メカデザインの文脈の上に、存在しているわけです。

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つまりスタアという人型蒸気は、実は本国フランスの人型蒸気よりも、直接的にヴェルヌ的ロマンを体現した存在である、ということが言えるわけですね。

 

他方、フランスのエトワールや日本の光武、ドイツのアイゼンシリーズなんかは、ちょうど良い半々の塩梅で、伝統技術・文化とSF的ビジョンの融合を果たしていると思いますし、それはそれで、ヴェルヌ的なイメージと伝統の、美しいハイブリッドであるという感触があります。

 

戦士たちは霊子甲冑を着込み、霊子甲冑は自国の伝統を“着込んだ”わけです。

 

そういった視点で眺めると、人型蒸気とその偏発展系である霊子甲冑のデザインという、ごく局所的な文化事象においてさえ、米国の、欧州に対するある意味での「文化コンプレックス」と、それをバネにした「米国独自の文化の発見と発明」が、よく現れているな、と思います。

 

ともあれ、人型蒸気は、大戦時こそ悲しい使われ方をしてしまったわけですけれど… そうですね、李紅蘭博士等は特に、人型蒸気が辿ったその辺りの来歴に、胸を痛めていらっしゃいましたね… ですが、霊子甲冑以降はもう、全く、そういうものでは無くなっていますから。戦争の為の物ではなくなりましたからね。

 

霊子甲冑は、決して戦闘機などではないですから。

 

だからこそ、今、ヴェルヌのイメージをあらためて見つめてみると、やっと人型蒸気が本来の姿を取り戻したな…という風にも、思うわけです。