回顧録回顧
誰に聞かれているのかは分からないけれども、おそらく誰かからのインタビューに応える形式でしたためてまいりました本ブログ。
ですが、サクラファンの方に発見されず寂しい思いをしていましたので、モチベーションが保てず、長らく放置しておりました。なのですが、最近訪問してくださる方が増えている様子なので、余裕が出ればまた始めてみようかと思っております。
サクラ大戦……しかも紐育篇に強く思い入れのある方がどれだけいらっしゃるのか……果たしてそれはわかりませんが、同好の方よりコメント等頂けますと、強いモチベーションになりますので、構ってやってくださると嬉しゅうございます。というか、そうでもなければモチベーションが……
個人的にアメリカ文化も好きですので、書くこと自体は楽しいのですが、いろいろと史料などを引っ張り出し、間違いがないように気を付けながら、細部まで想像力を駆使して書くことになりますので、結構労力がかかるのです。
とはいえ《『マダムバタフライ』におけるダイアナ・カプリス氏の革命的アプローチ》などは、本当に、きっとそんな感じだったんじゃないかな……と思える出来栄えで、個人的にも会心の解釈ができたと自賛しておりまして、またそのようにサクラ世界をもうひとつの歴史として真剣に解釈する遊びは贅沢なものだと思いますし、続けられれば良いなとは思います。
(また、あの解釈は是非とも松谷彼哉氏にお届けしたいと思っております。これまで公式においては、ダイアナさんをピンカートン役に配したことに関しては(もちろん本当は単に劇中劇へのキャクター配置の都合なわけですから)その違和だけが言及されていましたが、ダイアナさんによってあのような工夫がなされていれば、評判を取ったという設定にも説得力が生まれるのではないかと思いますし、松谷氏に今一度ダイアナ・カプリスのことを想って頂くきっかけになれば、いちサクラファンとしての幸いであると思っております。)
果たして今から始めるサクラ大戦の回顧録に意味があるのかはわかりませんが……
これよりの令和の時代には、ますますサクラ大戦が標榜するところの世界観、つまりは、誰しもに対して優しく、誰しもが幸せに生きられる社会のビジョンが重要になるはずであると思います。
この度の流行病の影響によって、数字の上での不況ではなく、初めて本当の意味での経済縮小を経験し、つまりは資本主義というシステムの本質的な限界に直面し、アメリカもまた初めて本気で喘ぎ、変わろうとしているこの時分。
はるか時を経て、場所を経て、もちろん社会主義だの資本主義だのという古い時代のイデオロギーをも超えて、優しい社会のビジョンを提示できるのは、ある種の客観的な視点から資本主義を見つめてきた、日本に生きてきた人たちであるはず……
ただしそれは、資本主義に浸かりきった視野狭量な人物ではなく、サクラ大戦の本質的な良さを理解できる人たち、あり得たかもしれない、もうひとつの歴史を想像できる方々であるはずです。
広井王子氏が行った仕事とは、分断された戦前と戦後を、その文化を、その精神性をつなげる、ということだったのですから。