叔父と銀座で珈琲を / 紐育生活への予感 / 珈琲追想録シリーズ①
いやぁ… 良い香りです。
近年はすっかりペーパードリップで珈琲を淹れるのが定番になっています。
じっくりとこう、香りを楽しみながらドリップをすると、珈琲を淹れる時間そのものが豊かになった感じがして、それもまた良いですね。
ええ、あの、珈琲には、やはり大分、思い入れがあります。
なんと言っても紐育暮らしでしたから、珈琲の思い出には事欠きません。ある意味では、米国文化のアイデンティティそのものが珈琲と共にあったと言っても過言ではない程ですからね。
と言っても、実は渡米する前から、珈琲は割と好きだったんですけれども。江田島時代から洋食メニュウには珈琲が付いてましたし、当然あの頃既に帝都でも、大分ポピュラーでしたからね。
《カフェーパウリスタ ポストカード:太正期》
帝劇ゆかりの方では、あの、今現在はダンディ商会の代表もなさっているベロムーチョ武田さんもブラジルの方ですし。そうです、明治の時分に例の移民の受け入れもありましたから。ブラジルと当邦との貿易交流は、既に大いに盛んでした。
まあその… 武田さん御自身も度々言及なさっている通り、それこそ武田さんが日本にお越しになった事自体にも、当然多くの御同胞と同じくご事情があったという事で、実際としてはもちろん、理想的なだけの施策では全くなかったですけれども。
……
あ、でも… そうですね、改めて珈琲の話という事で言うと、僕自身は、田舎から帝都に出て来たと思ったら、その後すぐに渡米する羽目になったので、銀座のお店で珈琲を楽しめたのは、ほんの… 一回かなぁ… そうですね、専門店で珈琲を飲む機会は、思えば渡米前は一度しかなかったですね。
いわゆる銀ぶらをする暇はなかったなぁ…
あ、そういえば、銀ぶらというのは “銀座でブラジル珈琲を飲む事” だという説を最近時折目にしますけれども、あれは例のお店が宣伝になればという事で後々言い始めた事で、実際のところは違いますのでね。普通に、銀座をぶらつくから、銀ぶらです…w …まあその、商売の為の作話というのは古今数多くございますし、これも単にそのひとつという事で… 無辜の… とまでは行かずとも、いわば文字通り無実の作話という感じですけれども…w
そもそも当時から普通に会話の中で使うような言葉でもなかったですからね。それこそ種々の宣伝効果が絡むせいなのか、ああいった言葉はむしろメディア側がしきりに取り上げたがった言葉と言いますか… 出どころも不明でしたし、色々と伝説が入り交じる状況には、まあなるべくしてなった言葉かな、という感じはしますね。
さておき。渡米前、確かに一度だけ銀座で珈琲を飲んだ事がございまして。で、状況も状況でしたし、その一杯は今でも、すごく印象深いですね。
大帝国劇場に程近いお店に、叔父に連れられて行きました。初めて帝劇に出頭したその日、帝国華撃団総司令であった叔父の口から、紐育行きを告げられた直後でしたね。
突然の海外行き。あまりの事に目を白黒させている僕に、それじゃあせっかくだから、珈琲でも飲みながら… 男同士話そうじゃないか、と叔父が。
しかしその「男同士」という部分に、何と言いますか、微妙な含みがありまして。辞令の事で気はうわずっていましたけれども、ふとそのニュアンスを察するに、さすがにちょっと笑ってしまいましたね…
もちろんひとつには、まがりなりにも海軍士官学校を卒業していっちょまえになった甥っ子に対して、最早我々は対等な立場である、という事を表明して、ある種の敬意を示してくださったのであろう事はわかりましたけれども、と同時に、大帝国劇場では少数派の男性として、おそらく普段それなりに肩身の狭い思いをされてるんだろうなぁ… という、まあ一種の自嘲と言いますか、そういう感じもまた言外に滲んでいたと言いますか…w
けれども、同時にそれを誇りにも思っているような、複雑なニュアンスがこもっていたように思います。
さらに今にして思えば、その後すぐに甥っ子である僕自身もまた、彼同様の立場に立たされる事を叔父は分かっていた訳ですので、なんと言いますか、叔父の先達としての、ある種の想いと予告とが、込められていたようにも思います。
ようこそ新たな同士よ。これから色々と大変かもしれないけれども、歓迎するよ、と。
ええ、あの、紐育華撃団への配属は、当時はもちろん機密事項でしたので、実際に令が下されるまでは、当然ですけれども事前には何も知らされてはおりませんでした。ですので、僕の立場からしてみれば、田舎から上京して「さあ帝都での初任務だ!」と思っていたら、いきなり海外行きの辞令を頂戴した、というような状況な訳です。急な事ですので、さすがに叔父も気を遣ってくれたんだと思います。ですので、珈琲でも飲もうか、と。
ともかくも、突然の紐育行きという事で気が動転していたというのもありますが、何を思ったか、それじゃあ、ある意味これも、予行演習の一環だよな、と、さっそくちょっと力んで珈琲に臨んだのを、よく覚えています。
メニュウの中にドーナツもあったので、一緒に頼みました。ちょうど米国風を売りにしたドーナツでしたので、予行演習予行演習と思って…w もちろん別段演習にはなりませんでしたけれども…w でも、温かいドーナツで、とても美味しかったです…w
珈琲は… ちょっと厚手のカップに、たっぷり入ってました。珈琲が冷め難くて良かったですね。一杯五銭で、いわゆる一合入りだったと思います。しかも長時間寛いでいても大丈夫な雰囲気でしたから、そういう意味でもお得でしたね…w 我々の他にも、多くの席に陣取って、何やら研究会らしきものを開いていらっしゃる方々もいましたし… まさに外国のカフェー文化が入って来たその頃でもありましたから、今にして思えば、割と多くの方が、珈琲一杯でどこまで粘れるかを試していらっしゃったような節も、あったような気もします…w
そういえばそのお店の給仕さんは、感じの良い爽やかな歳若い男性の方が多かったんですけれども、その… 海軍風の格好をなさっていて…w 白い上着に黒ズボンで、肩章… らしきものも付いてたりして…w ええ、あの、まあ何と言いますか、演出ですね。雰囲気出しと言いますか。
…洋風、みたいなイメージだと、あの頃そういう感じだったのは分からなくはないですけれども… ただ、海軍風というのは当時にしてもちょっと古めのセンスだったかな… しかもあの時分はまだ… オートマピアノでしたかねぇ… 古いですねぇ…w オートマピアノ… メリーウィドウとか流れてて… まあ、ともかく、海軍風、という事で、我々ふたりは止む無く微苦笑を交わす事にはなりましたが…w
ともあれ、運ばれてきたカップからは大変甘美で芳しい香気が、繊細な湯気と共に立ち昇ってきておりました。何とも言えず、ほっとする香りで… 少し折り入った話をするにも、本当にちょうど良かったですね…
で、改めてやや鯱鉾貼って珈琲に臨む僕のそんな様子を見て、叔父も珈琲にまつわる思い出を話してくれました。
叔父は珈琲を飲むと、モンマルトルのカフェを、そして巴里留学の頃を思い出すんだそうです。
はい。朝食はいつも、クロワッサンと珈琲だったと。下宿していたアパートメントに程近いオープンカフェで、毎朝の朝食を採っていたそうです。曰く、叔父が巴里にいたのはほんの半年間だけだったそうですが、たくさんの思い出があるご様子でした。
春から夏の終わりにかけてでしたか… 叔父の赴任した時期は大分過ごし易い爽やかな季節だったそうで… ともかくも、カフェの椅子に座っているその時間には、頬を撫でるそよ風が心地良かった事が、とても印象に残っているそうです。
叔父は自分の留学経験の事を色々と話してくれました。人との出会い、街と共に生きると言う事、都市防衛の重要性、それに何より、楽しかった思い出の数々…
叔父の話を聞いている内に、少しだけ緊張が解けてきました。そしてこう、段々と紐育行きが楽しみになっても来ましたし… ただ、ある意味では、より力んでしまいましたけどね。
はい、あの、19でしたから…w 初任務にして有難い事に大役でしたし、とにかく何かを成そうと、何かを成したいと、躍起になっていましたので。
それこそ、子供の頃から尊敬していた偉大なる叔父のように、自分の使命を見つけて、それを果たさねば、と、全身やる気で漲っていました。
ただ、その力みは、いざ紐育に降り立った初日に粉砕されるんですけれども…w 当然、あの時はまだ、そんな事になるとは思ってもみませんでしたから。
そういえば、叔父はなぜか話の終わりに、クロワッサンというのは、どういう意味の言葉か分かるかい?と、尋ねてきました。
もちろん心得ておりましたので即答しましたけれども…「うん、普通は知ってるよなぁ…」と、何か意味ありげな含み笑いをされただけでしたね…w ええ、あの、妙に印象深い反応だったので、よく覚えてます。何がしか、叔父だけの思い出があるんだな、と思いました。
で、もしかすると、自分にも、そういう思い出ができるのかな… と、そんな予感もしましたね。
失礼、珈琲にまつわるお話をしようと思って、前置きのつもりでお話ししていたら、渡米前の話だけで長くなってしまいました。では、紐育生活での珈琲の思い出、本題は次回に。