サジータさんとモーニングコーヒーを/ ワインバーグ法律事務所の目覚めの一杯 / 珈琲追想録シリーズ②
紐育でのコーヒーの思い出、ということで言うと、実は自分で頂いた一杯ではなく、人にお淹れしたものが、強く印象に残っています。
サジータさんの弁護士事務所である「ワインバーグ法律事務所」…そこで淹れた一杯です。
比較的シアターが暇な時期は… …いや、あまりそんな時期はなかったような気もするので… んー、結局そうですね、休日とか夜中とか、何とか手が空いた時に、時折サジータさんの事務所をお手伝いする事があったんです。
と言ってももちろん、米国の法学なんて僕は完全に門外漢ですから、書類仕事なんて出来るはずもなく、単なる雑用でしたけれども。
まあ主に掃除ですよね。ぶっちゃけサジータさんはお掃除とか、そういう方面のいわゆる家事的な能力が皆無でしたので…w あの、僕だけではなかったです。ジェミニと僕とで手伝ってましたね。
デリでサンドを買ってきたり、事務所の掃除をしたり。
と言っても、サジータさんがそういう調子だったのも全く道理でして。仕方がなかったですね。歳若い時分から法律を修める為に猛勉強なさっていた訳ですし…そもそもサジータさんは、あの頃からあまりに忙しすぎたんです。
弁護士のお仕事というだけでも、その忙しさたるや察するに余りあるという感じなのに、シアターでは俳優としても一流のアクトをなさっていらっしゃって、さらにもちろん、我々同様に華撃団員としての使命もあった訳ですので。
一体どうやって事務所のお仕事とシアターのお仕事を両立していらしゃったのか、今でも不思議なくらいです。
とは言えさすがサジータさんは一流で、仕事自体はスマートにこなされていましたけれども。
…ただ、それでもやはり忙しくなって来ると、だんだんと様子がこう… 何と言いますか、苛立ちを募らせていらっしゃる事が、ちらほらと垣間見えるようになると言いますか…
まあ、要はイライラしてくるんですよね…w 考え事をしたり、資料らしきものを見たりしながら、ぶつくさと独り言を言ってるかと思うと、突然「F○○○ !!」と声を荒げたりして…w
で、どんどん「F○○○」率が高くなって来るので、これはまずい、と…w
なので、少しでもサジータさんのお力になろうと、僕とジェミニが定期的に事務所に伺っていました。ジェミニはああ見えて…と言うと大いに語弊がありますけれども、料理も裁縫も得意ですし、僕もまあ、サジータさんよりは…w
特に食生活面には重々注意しておく必要があって。サジータさん、放っておくと酷い時は、缶入りコンビーフをそのまま掻き込むだけになってしまいますので。ええ、あの、好物だとか言って。そもそもコンビーフを好きな理由を聞いたら、何もしなくてもそのまま食べられるからだとか言ってましたしね…w ええ…どうかと思います…w
そのくせ栄養にも気を付けてると言って、手に入れた生野菜、セロリだのトマトだのをそのままかじってたりして、もうホント、ゴリラみたいな食生活でしたからね…w ですので、少しでも温かいものを食べてもらおうと、僕とジェミニが煮込みを作ったりして、色々工夫してました。
そして、たまに朝方… 5時6時ぐらいに、キャメラトロンにサジータさんからの通信が入ってることがあって。で、それはもう、徹夜明けの、限界の時ですね。口頭弁論の準備に一晩中かかってしまって、もう限界、という時です。
ひとこと『目覚ましをお願い』と。
確かに朝早い時刻の通信ではありましたけれども、これは決してサジータさんが傍若無人な訳ではなくて、僕がジョギングと素振りを日課にしていることを、サジータさんも知っていたからです。早朝に起きて、セントラルパークを一周と素振りを100回というのが、当時の僕の日課でした。
ですので、その早朝コール… というよりも最早、救難信号でしたけれども、その通信はジェミニではなく、必ず僕に送られて来ました。
なので僕の方も、その通信を受け取った日は日課をこなしたその足で、ハーレムにある「ワインバーグ法律事務所」まで、そのまま走って向かうようにしていました。
事務所に入ると案の定空気は淀んでいて、書類の山とコンビーフの香りに埋もれたサジータさんが、寝不足の、けれどもアドレナリンで目だけは爛々と光っているという、もしも外で出くわしたならば、すわ不審者ではないかと一瞬身構えてしまいそうな程の大変な形相で、資料と格闘している訳です。
ちらと僕の方を一瞥するや、ありがとう助かった〜…と安堵と疲労の入り混じった様子に表情を崩して呻きながらも、余裕が無いのか、やはりすぐ資料に視線を戻すサジータさんをこちらも尻目に、まずは窓を開けて新鮮な空気を部屋に入れつつ、素早くキッチンの方へ “目覚まし” を用意しに行きます。
フライパンに火を入れて、事務所に来る途中で立ち寄った近所の修道院… つまりはハーレムにたくさんあった教会の、そのひとつに併設されていた修道院ですけれども、そこで分けて頂いた生卵を投入して、まずは手始めに目玉焼きを作る訳です。
サジータさんは両面しっかり焼きのターンオーバーがお好みでしたので、多少僕なりの工夫も加えながら、なるだけ美味しく仕上げるように気を付けつつ焼き上げていきます。
ええ。サニーサイドはお嫌いだそうで。 …はい、あの… 焼き方の話です…w
サジータさん、目玉焼きの話になるとなぜか必ず、ターンオーバーは好きだけどサニーサイドは嫌いだとセットで仰るので、彼女の好みは、我々の間では有名なんですけれども。
ええ、その… 他意はないと思います…w
ところで、そもそも当初はこの一連の “目覚まし” の中に、目玉焼きは含まれてはいませんでした。何せ事務所には火を通さないと食べられない類の食料品の買い置きがありませんでしたので、缶詰だのパンだのの、何がしかのあり物を添える程度でした。
しかしこの “目覚まし” 制度が始まって間も無くの時期に、サジータさんにご一緒して近所の教会に伺ったことがございまして。話の流れでシスターにその “目覚まし” の話をしたところ、それなら、私たちはどの道お務めで朝早くから起きているのだし、いつでも寄ってくれればいいから、何かもう少しまともなものを食べさせてあげて、と、言わば兵糧補給の申し出をしてくださったんです。
せめてものお返しに、という事でした。いいよそんなの、と渋るサジータさんに対して、徹夜した時くらい少しはまともなものを食べなさい、と半ばお説教するような形で押し切りつつ、シスター発案のこの兵糧補充制度がプラスされる形で、サジータさん救援システムの、その一連の流れが完成しました。
後でこっそりシスターが教えてくださったところによると、どうやらサジータさんは定期的に、教会に結構な額のご寄付をされていらっしゃったようで、せめてものお返しとは、そういう事のようでした。
思えばサジータさんは教会やコミュティリーグだけではなく、セドリック “ザ・ポップ” ヴァーガ氏の床屋さん等、ハーレムの、それも特に子供たちが出入りする界隈を篤く支援して、深くお付き合いをなさっていましたから、何と言いますか、ハーレムにおける横の繋がりというか、助け合いの形も、サジータさんを通して垣間見る事がありました。
ともかくも、目玉焼きにグリーンピースと、それからポテトとコーンを付け合わせて、これもまた教会で頂いた、シスターお手製のビーンズスープを温めて、パンを軽く炙るなどして、ごく簡単な朝食を用意して、サジータさんに差し入れに行く訳です。と、そうしながらも、先にお湯を沸かして、この後お出しする “目覚まし” の本丸のために、カップとポットを温めておきます。
明け方ともなると、やはりお腹も空いてしまうのでしょう、窓辺に寄って新鮮な空気に火照った顔と頭を冷ましながらも、僕が用意した朝食を「マジで最高」と言ながら頬張りつつ、サジータさんはいつも今回の訴訟の内容を矢継ぎ早に説明してくださいました。
その訴訟がどれほど厄介なものなのか。今回のケースに関連する過去の判例はどうか。陪審員選定の有利不利状況はどうか。相手方の「F○○○」で「S○○○」な弁護士がいかに悪どい陰湿な手法で印象操作をしてくるか。それに対する武器はあるのか。背後に利権が絡む場合取るべきリスクをどう考えるか。等々…
法廷。現代社会の基盤たる法律を扱う場でありながら、ある意味では非常に特殊なゲームルールによって支配されているとも言えるその現場のフロントラインにおいて、僕には到底理解が追いつかないレベルでの相手方との攻防を頭の中で組み立てているサジータさんのお話には、ただただ感服するばかりでした。
本音では、少しでも早く寝てほしいな、とも思いながらも、興奮した様子で一気に徹夜の成果をまくし立てるサジータさんは既に臨戦態勢でもあり、同時にとても生き生きとしてもいて、まさしく制止不能な気配と気迫を放っていらっしゃいました。
もちろんそうしてサジータさんが僕に訴訟のあらましをご説明くださっていたのは、ご自身の中の考えの整理も兼ねていましたので、話している内に新たに思いついたのであろう作戦を走り書く等しつつ朝食を食べ進めていらしゃいましたから、僕は僕で、彼女が丁度食べ終わりそうな頃合いを見計らって、“目覚まし” の本丸たる一杯のコーヒーを用意するために、改めてお湯を沸かしに行く訳です。
一流の事務所には一流のものを、という方針で、サジータさんの事務所には一応一通りの、品質の良いコーヒーと紅茶が用意されてはいましたけれども(シアター経由で買い取った品を、僕とジェミニが定期的に補充しにきていました)、クライアントさんとの打ち合わせは、劇場から近いせいか大概サバマで行っている様子でしたので、普段はあまり出番はないようでした。
その上、結局のところ普段は簡便さを優先する必要があった為か、事務所では主に《KANZAKI》製のコーヒーメーカーが活躍していて、サジータさんは、いつもはそのコーヒーメーカーで作り置きしたコーヒーを飲んでいらっしゃるご様子でした。
ですが徹夜コースともなるとその作り置きしたコーヒーも底を突き、そのまま放置されてるような状態で…
そこで僕は、普段は使われていないドリッパーを用意して、ハンドドリップでコーヒーを淹れる訳です。
何でも、サジータさんにとっては、僕がドリップしたコーヒーは、特別な、魔法の一杯なのだとか…
曰く、コーヒーメーカーのコーヒーとは全く別物で、“茶” の心のある一杯だと。
どうも日本人だから “茶道” の心得があるのだと思われたのかもしれませんけれども、当時の僕は然程その辺に覚えがあった訳ではありませんでしたので、サジータさんが気に入ってくださっていたこと自体は嬉しいですけれども、そうですね… それはサジータさんの気のせいというか…w まあもちろん、丁寧にドリップした方がコーヒーが美味しく仕上がるのは当然ですから、それで気に入ってくださっていたのだと思います。
ええ、当時アメリカでは、ハンドドリップは全くメジャーな手法ではなかったです。と言いますか、それは割とごく最近までそうでしたしね。最近はサードウェーブ系の流行もあってようやくハンドドリップがメジャーになりましたけれども、それこそ、その手法は日本の喫茶文化の中で一般的になっていた流儀からインスピレーションを得たものだそうですので、ある意味では、サジータさんの言い分も当たっていたとは、言えるかもしれません。
そんな訳で、食後のコーヒーかつ気付けの一杯、といった調子で、新鮮なコーヒーを淹れて、それを “目覚まし” と称して、窓辺で一息つくサジータさんにお渡ししていました。
サジータさんお好みの、深めで、かつミルクは抜き、砂糖は多めの、目覚めの一杯。
ひとくちカップを傾けるなり、声にならない唸りを上げながらサジータさんは「完璧」「最高」「マジで魔法使いだと思う」等々と、いつもあらゆる表現で、大変嬉しく有難い賛をくださいました。
疲れた脳には糖分が必要ですからね。ようやく補給できた糖が、余程脳に嬉しかったんじゃないかと思います…w
とは言え、何だか大事そうにカップを押し抱きながら、僕が淹れたコーヒーを心底美味しそうに飲んでくださっていた事は、本当に、すごく嬉しかったです。
この後ひとり戦場に臨むサジータさんに対して、どのような形であれ、少しでもお力になれるのであれば本望でしたしね。
そうして目覚めの一杯を飲みながら、早朝のハーレムを見つめるサジータさんの横顔は、いつも大変な美しさで、黎明の空気に徐々に迫り来つつある戦いの気配を向こうに見据えながらの大胆さを、つまりは戦場に踊り出る寸前の戦士の最後の一服といった雰囲気さえある、不可侵の神聖さを湛えていらっしゃいました。
さらに逆光の朝日に透かされた彼女の流れ落ちる黒髪は、まるで王を守る千の兵士《レギオン》のようですらあり、なるほど今目の前にいるこの人物はまさしくひとりにして千軍、特殊なルールが支配する現代社会において法の力を纏った彼女は確かに今無敵の存在なのかもしれない、と、そう思わせる、ある意味では「正義」そのものをさえ象徴する、超越的なシルエットと化していたようにも思え、その気高さに、思わず身震いをすることさえありました。
…と思っていたら、だんだんと瞼が下りてきて、むにゃむにゃしていらっしゃる事もありましたので、そんな時はさすがに早めに仮眠を採ってもらうようにしていました…w もちろん、僕はひとまず退散して。
ですが気力充実して興奮状態の臨戦態勢でいらっしゃる事も多かったですので、そんな時はお出かけなさるまでご一緒して、そのままお見送りする事もありました。ついでに事務所は軽く片付けておきますので、と。
きりりとスーツ姿が決まったサジータさんをお見送りする時は、何だか旦那様をお送りする奥様になったような気がして、ちょっと嬉しかったですね…w いってらっしゃいませ、と。いつも愛情を込めてお送りしておりました。
あ、ちなみにジェミニも同じ事を言ってましたね…w 目覚めの一杯は僕の担当でしたけれども、昼間はジェミニの事もありましたので。
そう言った訳で、徹夜仕事のサジータさんを救援するためにお淹れしたコーヒー、それが思い出の一杯です。
コーヒーはやはり、ただ飲み下すためではなく、誰かのためを思って心を込めて淹れるようにすると、より素晴らしいものになりますね。
『自らに淹れる場合も、自らを持って、自らをもてなすべし』とは、コーヒー道における僕のお師匠様のお言葉で、本当に、仰る通りだと、改めて感銘を受ける次第です。
…ですが、まさかその一杯が高じて、その後自分が法廷に立つことになろうとは、思いもしませんでした。
いやー… 緊張しましたねー…w ちょっともう、二度はあんな事経験したくないですね…
失礼、また長くなってしまいました。
では、その話はまた次回に。