サクラ大戦V妄想回顧録

夢か現か…思い入れ深く『サクラ大戦』をプレイした結果、そこでの体験がリアルなもう一つの人生経験のように感じている…そういう方々が、実はプレイヤーの中には多々いらっしゃるのではないかと思います。サクラとはそんなミラクルが生じた作品であり、わたくしもそのミラクルにあてられた一人。そんなわたくしが、かつて“太正”時代に“経験”した事を記憶が混濁したまま綴ります。今思い出しているのは1928年以降の紐育の記憶。これは新次郎であり、現代の他人であり…という、人格の混ざった記憶それ自身による、混乱した、妄想回顧録です

アメリカン・コミックスと紐育星組 / ザ・ローニンとファビュラス・コミックスの時代

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最近ファビュラス・スタジオ製のアメリカン・コミックス原作もの映画が大人気ですね。

 

一般的に『FCU』の通称で知られる、このコミックス原作もの映画シリーズの特徴は、アメリカン・コミックスの世界で長年親しまれてきた、各タイトル間のクロスオーバーイベントを、映画シリーズにおいても導入したことにあります。

 

なお『FCU』とは、Fabulous Cinematic Universe の略で、一連のファビュラス・スタジオが制作する映画シリーズのことを指します。

 

中でも特筆すべきは、それまでのアメコミ原作もの映画のイメージを刷新し、シリーズ全体の人気の契機となり、その隆盛の礎となった作品、映画『ザ・ローニン』です。(邦題『レッド・ローニン ~ファースト・ファブ・ファイブ~』)。

 

白馬を駆って悪と戦う覆面の侍ロデオヒーロー「レッド・ローニン」を、現代の技術で実写映画化した作品です。

 

大きな見所はザ・ローニンの愛馬にして相棒である「タイラント」。最新のCGIによって描写されるタイラントの存在感は素晴らしく、その繊細な表情と仕草は、最早とてもCGとは思えないほど生き生きとしていて、迫真の演技と言って相違ないものとなっています。

 

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またそれとは逆に、大作映画らしくCGIを多用する映画であるにも関わらず、むしろアクションシーンは出来うる限り実写に拘って撮影されていたのも非常な美点でした。

 

特に戦闘シーンは革命的で、しっかりと肉体を張って撮影された人馬一体のアクションは、非常に実戦的でタクティカルな理詰めの戦闘スタイルが採用されており、さらにはその実戦的な所作を極め切ることによって生じるある種の様式美を映画的ケレンにまで昇華させるという、圧倒的に斬新かつハイレベルな達成を果たしていました。

 

本作以降、アクション映画界では肉体を張ったアクションと実戦的所作へのフェティシズムを突き詰めるような動きが活性化しており、本作のアクションスタイルそのものが、ある種のトレンドとなっています。

  

全年齢向け作品であるため、あくまで過激な描写は抑えられてはいますが、ローニンが次々と敵役である魔物を斬り倒して行くとき、その刀身に付着した血糊(にあたる、黄色い体液的なもの)を、刀を持っていない方の腕の袖で(あるいは上腕と前腕で挟み込むようにして)次々と一瞬で拭い続けながら戦うシーンは、大変な格好良さでした。海外のファンジンでは早速あの仕草が“ブレード・リロード”と名付けられ、同作を象徴するシーンとして、後続作にも度々引用されているようです。

 

まさに近年のアクション映画全体のスタンダードを、ひとつ上のレベルに引き上げるほどの、新次元の領域の格好良さを提示していたと言えるでしょう。

 

タイラントの“ドリフト”も人気でしたね。馬なのに、何かというと、車のようにザーっと横滑りしてから止まるという…。細かく何回もやるから、笑っちゃいましたね…w あれでフレームインして来たりもしますし。基本的に普通には止まらず、必ずザーっとして、キュッと…

 

この作品での活躍を契機に、今やハリウッドで引っ張りだことなっているアクション担当会社の『タケダ&ニシムラ・8711・アクションスタジオ』には、実はミチエ・トミザワ氏を始めとする元JAC出身の日本の方々が数多く所属されているため、これからの活躍に期待が掛かります。

 

本編にも大物ヴィラン「スカーレット・リザード」として出演し、ハリウッドでご活躍中のアクション女優ミチエ・トミザワ氏も実は同スタジオの立ち上げ時より関わっており、本作の革命的アクションの設計を自ら牽引してこられたとのことです。(余談ですが、ミチエ・トミザワ氏は帝都花組の神崎すみれ氏に佇まいが大変似ていらっしゃるところがあって、すみれさんとは個人的に知己でもございますから、奇妙な親しみも感じますし、敬意を持たざるを得ません)

 

さらに『ザ・ローニン』は原作コミックスの特長でもあった軽妙な味わいを上手く映画版として成り立たせていた点にも感心させられました。全体のトーンが適度に楽観的かつコミカルだったことも特徴的で、気の利いたギャグもたくさん盛り込まれていて、ともすれば時にやり過ぎなほどの、人と馬、相棒二人(?)のナチュラルな息の合いっぷりには、大いに笑わされました。

 

内心すごく怒ってるんだろうな…という場面で、ローニン自身は穏やかに対応してるんですけど、去り際に無言でタイラントが後ろ脚で蹴っていくという…w 以心伝心っぷりが全部ギャグになってて、素晴らしかったです。

 

映画全体のナレーションを馬であるタイラントが担当していたのも、ギミックとして面白く、さらに原作再現にもなっていましたから、大変素晴らしかったですね。原作コミックス、特に初期のものは、レッド・ローニン本人よりも、むしろタイラントこそが大きな人気を博していましたから、彼が魅力的だったことは大変嬉しかったです。激渋ボイスで有名な、かの大御所俳優が馬の声を担当するというのも気が利いていましたし…w 

 

最終決戦の場で敵役であるヴィランが、まさにタイラントのことを甘く見ていたことが、最終的な勝利のきっかけになるところも、大変に熱いシーンで最高でした。勝利のロジックとしても綺麗に筋が通っていた上に、「見た目で人を侮るな」という映画全体のテーマをこれでもか!と叩きつけるような、痛快なシーンでしたね。それまで続いていたアメコミ原作もの映画のダークなトーンとは一線を画していた点も、まさしく画期的だったかと思います。

 

…といった次第の映画『ザ・ローニン』なのですが、紐育華撃団・星組のことをご存知の皆様は、この覆面の侍ヒーロー「ザ・ローニン」が、紐育を騒がせた仮面の剣士… さらにその剣士を元にした人物を舞台上で演じた、ジェミニ・サンライズ… 彼女たち二人のパブリック・イメージからインスパイアされたキャラクターであることを、ご存知だと思います。

 

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そう、ファビュラスコミックス社のスーパーヒーロー「レッド・ローニン」とは、ジェミニ・サンライズ、彼女が元になったキャラクターです。

 

アメリカン・コミックスの黄金時代、1940年代の、いわゆるゴールデンエイジから親しまれてきたキャラクターが、遥か時代を経た現在、大人気のハリウッド大作映画となっているというのは、なんとも不思議な感慨があります。

 

といった訳で、今回は紐育星組とも大いにゆかりのある、ファビュラス・コミックス社のキャラクターをご紹介しようと思うのですが、その前に少しだけ、太正時代以後の歴史におけるアメリカン・コミックスそのものの概要をご紹介します。

 

米国におけるアメリカンコミックスの歴史は、主に大手2社、CBコミックス社とファビュラス・コミックス社が主流となって紡がれてきました。

 

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CBコミックスは、元は『クライム・バスターコミックス』という犯罪物のコミックス誌を刊行していた会社で、後に看板タイトルであった同誌の略称であるCBコミックスを社名としました。

 

CBコミックスは米国初のスーパーヒーローであるサイファイマン、ヴィジランテヒーローのオウルマン、半人半神のワンダーアマゾンの三巨頭を筆頭に、数々のスーパーヒーローものを世に送り出しました。

 

対するファビュラス・コミックスの花形ヒーローたちは、奇縁にも我らが紐育星組メンバーが元になったキャラクターで構成されることになって行きます。

 

これは、CBコミックスのキャラクターたちが、主にナショナルシティやワイズ・メン・オブ・ゴータムシティなど、架空の街を舞台としているのに対して、ファビュラス・コミックスのキャラクターたちは実在の紐育を舞台として活躍している、ということとも、大いに関係があります。

 

CBコミックスは40年代から古典的なスーパーヒーローを輩出して来ましたが、ファビュラス・コミックスが独自の路線を確立し、時代を牽引していくのは60年代以降のことです。そしてその流れは、まさに我々紐育星組と同じように、紐育の都市文化そのものと一体となったものでした。

 

それでは改めて、ファビュラス・コミックス社の歴史の中でも一番の花形であり、まさに現在映画シリーズが大人気を博している彼女らの歴史を振り返ってみましょう。

 

まずは侍ロデオガール『レッド・ローニン』から。

 

現在よく知られているレッド・ローニン=ルシル・フォーセットは、1963年にデビューした、二代目レッド・ローニンの事を指します。

 

二代目ということは、まずそれに先立つ初代がいるわけなんですけれども、初代『レッド・ローニン』デュオ・サンセットは1939年に『ワールズ・ファイネスト・ボールダー』(#12)でデビューしています。

 

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『ワールズ・ファイネスト・ボールダー』誌は、当時人気に火が付いていたヒーロー物のオムニバス誌で、いわゆる新人ヒーローの見本市といった趣のコミックス誌でした。要は思いつく限りの新ヒーローを試しに登場させて、その中から人気が出るものがあればミニ連載を始め、さらに人気が出れば単独誌を刊行しようという、そういう目論見で刊行されていたショーケースマガジンだったわけです。1号あたり10セント、その中に5つの短編が掲載されていました。

 

まさに玉石混淆のコミックスで、一回の登場だけで終わるヒーローもたくさんいましたが(そのほとんどが今や巨匠とされているコミックスライターやアーティストが手がけたものでもありましたから、果たしてどんなキャクターが人気になるのかは、読めないものですね)中には早々に人気を博し、同誌を“卒業”してゆくキャラクターも現れます。

 

その中のひとり(と一頭)が、『レッド・ローニン』でした。

 

この初代『レッド・ローニン』ことデュオ・サンセットは、キャラクター名からも分かる通り、ほぼ、我らがジェミニ・サンライズそのままのキャラクターでした。

 

ハイミー・シモン&ヤコブ・ホシノ・カービィによって生み出された彼女は、西部のロデオ・ガールでありながら銃を使わず、日本刀一本を得物にして、日本の剣術で戦うヴィジランテヒーローです。おしゃべりで気の良い相棒の荒馬タイラントと共に悪を挫く、無敵の剣士でした。

 

実はハイミー・シモン氏は、かつて我々の『ワイルド・ウェスト・ウィッシュ』公演を何度もご覧になっていらしゃったほどの、紐育歌劇団の大ファンで、それもあって、新人女優として当時から鮮烈な印象を与えていた我らがジェミニを元にしたキャラクターを創造されたとのことです。

 

そしてもちろんタイラントの元となったのも、ジェミニの愛馬にして相棒のラリー… なのですが、その名前は、彼の母馬で“暴君”と称されたテキサスの伝説的荒馬の通り名がそのまま用いられました。

 

同誌に登場するやいなや、すぐに人気の出た彼女は『ワールズ・ファイネスト・ボールダー』(#16)までの、ほんの4号分の連載を経た後、早くも単独誌である『レッド・ローニン』(#1)が刊行されることになりました。そしてそれを機にさらなる人気を博すことになります。

 

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《『レッド・ローニン』の人気により、ウーマン・イン・レッド、ミス・マスク、レッド・トルネード等、様々なウーマンヒーローが誕生しました》

 

アメリカン・コミックスの歴史の中でも初期のキャラクターということもあって、デュオ・サンセットのキャラクター造形自体は典型的な保安官、といった所でしたが、当時の少年少女たちに特に圧倒的な人気となったのが、よく喋る相棒の馬、タイラントです。

 

タイラントは馬の身でありながら、人間よりも遥かに賢く、言葉巧みに周りの大人を手玉に取ってしまうのが大変愉快なキャラクターでした。よくジョークを解し、辛辣な調子で皮肉めいたことも言える、いかしたやつでしたね。

 

『レッド・ローニン』誌のトーンは割合コミカルで、絵柄も適度にデフォルメが効いていましたので、人語を解しよく喋るタイラントのキャラクターがよく嵌ったわけです。どうして馬なのに周りの人間と喋ることができるのか、という点に関しても、当時は特に細かい設定などはありませんでしたけれども、まあ絵柄もデフォルメが効いたタッチでしたし、なんとなく受け入れられていました…w 

 

さすがに現行のコミックスの雰囲気の中では、何の説明もなく馬が喋るわけにもいきませんので、相棒であるレッド・ローニンだけが彼の言葉を理解したり、直接読者に向けたモノローグをタイラントが担当したり、あるストーリー・アークでは、タイラントの正体が宇宙生物だということになって、それを機に言葉を喋るようになるなど、その時に応じて色々と設定が考案されています。

 

ともかくも、あまりにタイラントの人気が出たために、その後、タイラントを主役にした『タイラント・ミラクル・ホース』というシリーズさえ刊行される等、レッド・ローニンからの派生タイトルが次々登場していきました。同誌はアメリカン・コミックスにおけるスーパーアニマルものの嚆矢とも言えるシリーズでもあります。

 

しかし50年代に入ると『黒の船』シリーズを始めとした怪奇路線の海賊ものコミックスが大流行し、ヒーローものおよびスーパーヒーローものはやや下火になっていきます。

 

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(尚、その海賊コミックスはいわゆる「パシフィック・リム」ものでもありました。古典的なカリブ海を舞台にしたものではなく太平洋を舞台としたもので、海から来るモノが惨事を引き起こす、恐怖コミックス群です。これはアメリカSF史と欧州の伝統的暗黒神話との繋がりを示唆する、文化史的に非常に重要な点であり、我々紐育星組がその後激戦を繰り広げることになる、ある超越的存在を予告していたとも言えるものです。が、その話はまた別の折に。)

 

しかし60年代に入ると、黄金時代のヒーローたちをリニューアルしようという画期的な動きがCBコミックスによって始まり、かつてのスーパーヒーローものブームが再燃する時代が到来します。後に「シルバー・エイジ」と呼ばれるようになる時代です。

 

その流れを決定的にし、時代を牽引したのがファビュラス・コミックスでした。名物編集者にしてライターである“ミスター・スマイリー”こと、リー・バーマンと、先述した天才アーティスト、ヤコブ・ホシノ・カービィのコンビが、リニューアルヒーローも含めた様々なスーパーヒーローを考案していきます。

 

そこでまずテーマになったのが『レッド・ローニン』でした。

 

かつての初代レッド・ローニンの人気は、主にタイラントの人気に依ったものでしたが、ヤコブ・ホシノ・カービィ氏が、かつてハイミー・シモン氏と共に紐育星組をモチーフにしてキャラクターを制作したという逸話をリー・バーマンに改めて語ったところ、実はリー・バーマン氏もまた、紐育星組の大ファンだったということが判明し、改めて彼女の魅力をフレッシュに掘り下げたキャラクターを作ろうじゃないか!という話になったのだそうです。

 

そしてレッド・ローニンは二代目レッド・ローニンとしてリニューアルされました。

 

新たに主人公として設定されたルシル・フォーセットは、改めてジェミニ自身の魅力を研究解体し、再構築したかのようなキャラクターでした。

 

現代の少女であるルシル・フォーセットはころころと極端に表情の変わる生き生きした若者で、リー・バーマン氏の真骨頂であるところの『現代的な若者の言葉遣い』の魅力が詰まったキャクターでした。

 

例えば、コミックス中のあるひとコマの中で、「科学展に行くつもり?」と、この後の予定を聞かれたルシル・フォーセットが「ネガティブ」と応えるくだりがあります。そんな時、それまでのコミックスであれば、普通にノーという風に応えていたはずなんですけれども、ルシル・フォーセットは「ネガティブ」と言うんですね。

 

日本語にそのまま訳すと「否定します」という風な言い方になってしまうのですが、これはつまり、軍隊などで使われるような格式ばった言い方なわけです。けれども日常会話の中で、あえてそういう言い方を使って応える調子が、いかにも若者風の言い方と言いますか、それだけで気の利いたジョークになっているわけです。

 

それまでのコミックスは、あくまで子供に向けたものであるという意識も強かったこともあって、言葉遣いに関しては過度に砕けた調子のない、優等生的な「正しい言葉」が使われていました。しかし先ほどの例のような「生きた会話」を初めてコミックスに持ち込み、コミックスの言葉を変えたのが、リー・バーマン氏のもたらした革命だったわけです。

 

リー・バーマン氏による60年代のコミックス・ルネッサンスは、そのように紐育の街中で当時の若者が話していたような生きた言葉を使って、さらに人間としての欠点も多々ある人物たちを主人公としていたことが特徴的でした。ある意味では全てのヒーローがアンチヒーローであるという言い方さえできる程、それまでのヒーロー像からは大きく逸脱した魅力的な人物たちが次々と登場したのです。

 

そして何より、大きな特徴であったのが、ファビュラス・ヒーローにはウーマンヒーローが多かったという点です。

 

レッド・ローニン、タイニー・マチェーテ、ロウ・ライダー、と、ファビュラス・コミックスの大御所キャラクターは、そのほとんどが女性のキャラクターで構成されています。とは言え、これは無論単純に男性が軽視された結果ではなく、むしろそれまでの抑圧に対する反抗としての動きであった訳ですから、彼女たち、そしてファビュラス・コミックスの先進性の証であったと見るべき点であると思います。

 

その証拠として、男女の別をも超えてさらなる多様性への志向をも体現する、アンキャニィ・プリンス・カプリスというキャラクターさえ存在していました。アンキャニィ・プリンス・カプリスはその後アンキャニィシリーズという、一大フランチャイズさえ築き上げて行きます。

 

そうなった理由としては、彼女たちがそもそも我々星組をモチーフにして誕生したキャラクターであったから、という単純な要素もありますが、今にして思えば、偶然にも時代と強く共鳴した結果でもあったかと思います。

 

50年代の大いなる意識革新の時代を経て、現在では基礎的なジェンダー論が十分に浸透し切った結果、性別による差異だけでなく、あらゆる多様性を掲揚出来る理想的な世の中になりましたから、その流れと常に共にあり、紐育星組と同じように、あるいはポップカルチャーの力でもって人々の意識啓蒙を率先した存在として、ファビュラス・ヒーローたちは称えられるべきであると思います。

 

…と、そのはずなんですが… …そう…今はもう、理想的な世の中に… すみません… 少々頭痛が… …ええ…久々ですね… どうも最近の話をすると、眩暈がしてしまっていけません…

 

…失礼、少々大きな話になってきてしまいました…

 

本当は、アメリカンコミックスの進化の歴史と、シアターの休憩時間に僕もよく読んでいたパルプフィクションとの密接な関連、さらにその源流となっている(暗黒面をも含めた)欧州の想像力が、あるいはアラン・ポーなどを介し、いかにしてアメリカに流入したかという点についてお話ししたかったのですが、どうにもコミックスの話となると楽しくなってしまって、細かい話になってしまいます…

 

rbr.hatenablog.jp

 

そもそもその前に、ファビュラス・コミックスの中でも紐育星組のメンバーをモチーフとした残る4人のキャラクター、アンブレイカブル・タイニー・マチェーテや、恐るべきドクター・ノウ(能博士)のお話をしたかったのですが…

 

それはまた今度。

ダイアナさんの苺のスコーン / あるいはマッカーシースペシャル / 美味しいスコーンの焼き方・レシピ付き


rbr.hatenablog.jp

 

舞台『マダム・バタフライ』の初演が終了した後、ダイアナさんから、ちょっとしたお誘いを受けたことがあります。

 

曰く、例の役作りの一件でヒントを貰ったので、それに対してお礼がしたいとのことでした。

 

僕としては単に、やや差し出がましいことを言ってしまっただけのように思っていたので、そう仰っていただけるなんて、ありがたいやら恐縮やらでしたけれども…。とはいえ、せっかく受けたお誘いでしたので、ありがたく参上することに致しました。

 

なんでも、午後3時丁度に自宅に来て欲しいとのこと。伺うことになった日は11月の終わりで、よく晴れた、それなりに寒い日でした。

 

思えば、ご自宅に伺うことこそ初めてではありませんでしたけれども、最初の訪問の際は彼女の叔父様… 我らが劇場支配人にしてダイアナさんの叔父でもあるマイケル・サニーサイド氏からのお招きでしたから、ダイアナさんから直接お誘いを頂くということは初めてでしたので、多少なりどぎまぎいたしました。

 

ダイアナさんのお住まいはといえば、叔父であるマイケル・サニーサイド氏の邸宅です。これはもう、それ自体が有名ですけれども、驚くべきことにセントラルパーク内に構えられた例の大邸宅… そうです、奇天烈な日本庭園らしきものがある… あそこですね。サニーサイド氏の親戚ということで、ダイアナさんもあの邸宅の一画に住んでいらっしゃったんです。

 

ということはつまり、セントラルパーク内に住んでいらっしゃるようなものでしたから、邸宅の豪華さもさることながら、自然がたくさんあって良い環境でしたので、お住まいはやはり羨ましかったですね。僕とかジェミニの安アパートとは、本当に大違いでした…w

 

ジェミニの部屋なんて、もうホントに、馬小屋みたいでしたからね…

 

…と、これは、我々の間では、お決まりのジョークです…w ラリーがいましたからね。本当に半分は厩舎だったわけですけども… 実際、飼い葉がもさもさと溢れる中で、靴下が紐に吊るしてあったりして、いったいどこの開拓民かと…w

 

もちろんダイアナさんご自身も実力派俳優として当時既にセレブリティではございましたけれども、元々お身体の具合が良くなかったダイアナさんの為に、特別に良い環境をサニーサイド氏が誂えていらっしゃいましたから、ダイアナさんのいらっしゃる区画は、英国趣味の可愛らしい建物が建っていて、大変素晴らしいお住まいでした。

 

中でも特に印象的だったのが、いかにも英国調の浪漫が溢れていた庭園型の中庭と、その一画にあったサンルームです。

 

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英国といえば憧れのサンルーム。もうそのままで、ジェーン・マープル氏がお茶でもしていそうな雰囲気のあるお庭とサンルームで、本当にとっても素敵でした。

 

その日、ダイアナさんのお部屋に到着すると、早速そのサンルームの方にご案内くださいまして、すると、中に入った途端に、ふっと良い香りが薫って参りました。

 

紅茶の香りと、焼き立てのお菓子の香り…

 

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そう、ダイアナさんは先日の一件のお礼にと、アフタヌーンティーにご招待くださったんです。

 

なんとお菓子もお紅茶も、全てダイアナさんが手ずからご用意くださっていました。

 

焼き立てのお菓子の香りの正体はといえば、ふっくらと膨らんだスコーン…!

 

すごく綺麗なキツネ色に焼けていて、表面にかすかに踊る雪のような小麦も美しく、見るからに美味しそうな見た目をしていました。

 

紅茶もスコーンもぜひ熱いうちに食べて欲しいとダイアナさんに請われるがままに、席に着くやいなやスコーンをがぶりと頬張ったんですけれども…

 

もう本当にとろけるような美味しさ!! あの瞬間の感動は、何年経っても忘れられません。

 

といいますか、比喩ではなく、本当に、とろけたんです。とんでもなく滑らかで爽やかな口溶けでした。

 

ダイアナさんのスコーンは既に上下に割ってあって、中にはたっぷりのクロテッドクリームが挟み込んであり、さらにその中に、なんと苺がたっぷり入っていました。

 

苺をサンドしたスコーンだったんです。

 

ダイアナさんのスコーンはそもそも本体が本当に美味しくて… その後、苺無しの単品スコーンも何度となく頂くことになるんですけれども、まずそのスコーンが、すごく美味しいんです。

 

これはのちに知ったことですが、どうやら表面は香ばしく仕上げつつもミルクの水分が失われていない、という部分が、ポイントの様でした。なので、クロテッドクリームと一緒になった時に、スルリと滑らかな口溶けになるんです。

 

『たっぷりとクロテッドクリームを塗ったスコーン以上に美味しい食べ物はない』とは、どなたか英国の方が言った有名な言葉らしいですけれども、その気持ちは、すごく良くわかります。

 

まあその、チャーチル氏の有名な…『英国にも美味しい物はあるんですよ。…調理前ですけどね』っていうジョークもありますから、英国の人が言ってると、微妙に自虐ネタに思えなくもないですけども、そうではないですよね…w 実際、クロテッドとスコーンの組み合わせは、紛うことなく魔法のような美味しさがあります。

 

ちなみに近年スターバックスなんかで売っているアメリカンスコーン… チョコチップが入ってたりするあれですけど、あれはもう、別物ですからね。すごくハードでがっしりしてて… それはそれでコーヒに合うし、他に替えがたい喜びがあるとは思いますから、あれはあれで、僕も好きですけれども。

 

英国式のスコーンって、意外とまだ日本ではちゃんと食べたことないかも…という方も多いような気がしますけれど、ぜひそういう方こそ、英国式のスコーンを一度召し上がってみて欲しいですね。アメリカンスコーンの、あの水分を持っていかれるような感じとは、全然違いますから…w そう、あれが苦手っていう方、いまだに僕の周りにも結構いるんですけど、ほんとはそういう物じゃないのでね…w

 

と言いますか、実際スコーンだけを食べようとすると喉につかえてしまいますけれども、あくまでお紅茶とセットのものですから。クロテッドと一緒になることによって、とろけるような食感になった柔らかいスコーンを頬張った上で、さらにそれをたっぷりの紅茶で流し込むのが、浪漫なわけです。

 

…と、お話ししてるだけでもう食べたくなってきちゃいますね…w

 

僕自身、本格的なアフタヌーンティーを頂くのは、ダイアナさんにお招き頂いたその時が初めての経験でしたから、そういった点でも鮮烈な体験でした。

 

実は江田島での英語の先生は英国の方でしたので、先生のご趣味件、社交学としてアフタヌーンティー講習というものがありまして。そのおかげでスコーンは半分こにして頂く物だということだけ、学んではいたんですけれども。正直、その時に頂いたスコーンとダイアナさんのスコーンでは雲泥の差でしたね…。

 

先生のスコーンはほぼビスケットのような固焼き仕上げだったので、あの頃の、僕の中でのスコーンのイメージというのも、要はビスケットのちょっと大きい版かな… という程度の認識でしかありませんでした。ダイアナさんのおかげで、スコーンそのものに対する印象も一変しました。

 

とはいえ決して先生のスコーンが美味しくなかったというわけではないんですけれども、さすがにあの頃、日本でクロテッドクリームは手に入りませんでしたから、その点どうしても不利でしたね…w  思えば、先生もすごくクロテッドクリームのことを恋しがっていらっしゃった事を思い出しました。あの頃はよく意味が分かりませんでしたけれど、今なら分かります…w

 

で、そのダイアナさんの苺のスコーンなんですけれども、そもそも美味しいダイアナさんお手製のスコーンが、120%の完成をみるようなスペシャルバージョンだったわけです。

 

スコーンとクロテッドと生苺(と少しの苺ジャム)が組み合わさることによって、スコーンだけで物すごくジューシーな仕上がりになってるんです。それだけで完結しちゃうというか。

 

と思ってるのに、さらにたっぷりのミルクティーが合わさることによって、風味、コク、爽やかさ、香ばしさ、瑞々しさ、芳醇な甘さにすっきりキレの良い口溶けと、もうパーフェクト…! 

 

食べ始めたと思ったら、あれ?消えてる!みたいな感じです。そう、もう、気付いたらふっと消えちゃってる感じ…w

 

もう本当に、とんでもなく美味しくて、感動してしまって…

 

というこちらの様子を見て、ダイアナさんも大分照れながらもニコニコしていらしゃって、とっても幸せな時間を過ごしました。二人で食べ過ぎて、お腹いっぱいになっちゃいましたね…w

 

ちょうど11月の午後の柔らかい黄金色の日差しがサンルームに差し込んできて、そうかこれが『The Golden Afternoon』か …と、思わずルイス・キャロルの本を思い浮かべたりしました。

 

小川の流れる英国の庭園ではありませんでしたけれども、なんだか、あのほんのひと時それ自身に潜む永遠性といいますか、その美しさの片鱗を見られたような気がしました。

 

そういえばあの時、BGMにラジヲがかかっていたんですけれども… あの頃もう既に若いビング・クロスビーが歌ってたのかなぁ… そうだった気がするんですけれども… 彼の歌声は今でも街中で聴こえてきますから、そう思うとなんとも不思議ですけれどもね。

 

穏やかな、暖かいひと時でした。

 

そのダイアナさんの苺のスコーンなんですけれども、最近ちょっと驚くようなことがあったんです。

 

英国BBCのテレビドラマシリーズ『ファーザー・ブラウン』(世界三大探偵のひとりブラウン神父シリーズの何度目かの映像化作品です)を観ていたところ、レギュラーキャラクターのマッカーシー夫人がスコーン作りの名人という設定で、たびたびスコーンを焼いていらっしゃるんです。そして、そのマッカーシー夫人によるオリジナルスコーンがまさに、苺のスコーンだったんです。

 

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二つに割ったスコーンの間にたっぷりのクロテッドクリームと生苺!

 

まさにダイアナさんのスコーンと同じ物でした。

 

なんだか嬉しくなってしまって、その後ダイアナさんに教わったやり方で、早速また自分でも苺のスコーンを焼いてみました。

 

…はい。あんまり美味しいものだから、結局その後、ダイアナさんに作り方を教わったんです…w

 

というわけでこちら、ダイアナさん直伝の苺のスコーンです。

 

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我ながら… と言っても、オリジナルはスコーン作りの名人であるダイアナさんのスコーンですから当然ダイアナさんの功績なわけですけれども、もう本当に、信じられないくらい美味しいです…!

 

スコーン、そして英国と言えば、その後日本においてはリンボウ先生こと林望先生がご紹介されたものが有名ですから、リンボウ先生のレシピやなんかもミックスしながら、より美味しくなるように、今に至るも工夫を凝らしているのが自慢です。

 

そういえば、日本ではその後長いこと、クロテッドクリームが手に入らない時期がありましたから、その時分は完璧なスコーンが食べられなくて、先程申し上げた英語の先生と全く同じように、僕自身も寂しい思いをしましたね。

 

と言いますか、今現在でも、まだまだ国内ではクロテッドクリームが浸透しているとは言い難いですし、一部のお店でしか扱っていないのが残念ではありますけれども。

 

クロテッドクリームが無い場合は、生クリームとジャムの組み合わせでも、スコーンは美味しく頂けはしますけれども、やはりベストはクロテッドクリームと苺ジャムですね。本当にクロテッドで頂くスコーンは他に変え難い美味しさがありますから、クロテッドクリームがもっと広く、気軽に手に入るようになれば良いなと思うのですが…。

 

とは言え今、限りがあるとは言えども、それでも国内でクロテッドクリームが、中沢乳業さんなんかによってある程度製造されるようになっているのは、他でもない、今田美奈子先生のご尽力の賜物ですから、我々は本当に今田美奈子先生には足を向けて寝られませんし、感謝もしきれません。

 

そして今田美奈子先生といえば新宿高島屋。僕もクロテッドクリームを買いに行く時は高島屋に行くことが多いのですが、皆様もぜひお近くにお立ちよりの際は、今田先生のサロンにお越しの程を。

 

というわけで、ダイアナさんの苺のスコーンなのですが、せっかくですのでレシピと、ちょっとした作り方のコツを公開いたします。

 

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《ダイアナさんの苺のスコーン》

 

細切れバター 50g

卵+牛乳 130cc

砂糖 50g

小麦粉 230g

ベーキングパウダー 小さじ2

クロテッドクリーム  50g〜たっぷり100g

生苺 適量 半パック程度で十分

ジューシーなものをゴロゴロと入れるのがおすすめ

苺ジャムを少量繋ぎに使うのも良い

 

※細切れバター = 普通のバターですが、小麦粉とすり合わせやすいように、必要量を事前に薄切りにしたものです。ただし柔らかい方が扱いやすいからと言って、室内で適温に暖めてしまうのは(他の焼き菓子では問題ないですが)スコーンにおいてはご法度!冷たいままでは固くて切りづらいとは思いますが、バターナイフなどではなく、いっそきちんとした包丁でスライスしてしまいましょう。一度融解したバターは元に戻りません。小麦粉とのすり合わせ作業時に、いかにバターを溶かしてしまわないかが、スコーン作りでは重大なポイントになります。ご注意を!仕上がりが段違いです。

 

⓪オーブンを 210° 20分 で余熱する。

 

①小麦粉&ベーキングパウダーを合わせ、その粉をふるいにかける。

 細かな手間暇を掛けるのが美味しさの秘訣。

 

②細切れバターを小麦粉に練り込みすり込みする。沙みたいになるように。

 ここが一番のキモ。バターは一度溶けると元に戻らない!

 なるだけバターが解けないように、冷却材などで手を冷やした上で、素早く作業する。

 最近は薄いビニール手袋もあるので、それをして作業するのも良い。

 ここでバターの良い香りがしてこない方が上手くいっているということ。

 

③砂糖を混ぜ込む。さくっと。

 

④卵&牛乳を混ぜる。さくっと。

 

⑤ラップを敷いた板の上に生地を延ばす!

 生地が板にくっついてしまわないように、打ち粉をしながら、手早く二、三回折りたたむ。

 ここの折りたたみがそのままスコーンの割りやすさに繋がる。感覚を掴みましょう。

 そして、ここで練り過ぎてしまわないのがコツ!

 生地を捏ねれば捏ねるほど、グルテンが発生してしまいます。

 するとどんどんパンの様になってしまいますので、

 スコーン一流の美味しさから離れてしまいます。

 ③〜⑤の工程は最小限の動きで済ませ、なるだけ生地をいじり過ぎないことが重要です!

 

⑥型抜き!口どけと柔らかさを重視する場合横に広がるので、それなりの高さになるように。

 さらに一度型抜きをした後は触らないのがコツ。

 型から外す時も生地を触らないように、貫き型の内側に十分に打ち粉をして、

 中身には触らず、ふるい落とすようにする。

 少しでも触るとそれがそのまま潰れた形になって焼き上がってしまいます。

 

⑦オーブンにイン!まずは8分を目処に。焼き目ができるまで。ここでお茶を準備をする。

 

⑧焼き目が出来て来たらアルミホイルをのせ、全体に火が通るようにする!

 

⑨約13分めまで焼く。この間にクロテッドクリームとか用意。

 

⑩焼き上がったら後は簡単。スコーンをさっくりと上下二つに割り、

 中にたっぷりのクロテッドクリームと、カットした苺を挟み込むだけ!

 苺は薄くスライスしてしまうよりも、半分に切る程度が美味しいです…!

 紅茶は沸騰した瞬間のお湯で淹れる必要がありますので、タイミングの調整にご注意を。

 

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スコーンの焼き方には色々な方法がありますが、個人的には「高温で素早く焼く」のが断然おすすめです。究極に美味しいスコーンを極めるべく、これまで様々な焼き方を試したのですが、これが一番、表面のさっくり感と中の口溶けを両立できると思います。

 

低温になればなるほど形は整いやすくなって、いかにもスコーンらしい円形に仕上がりやすくはなりますが、どうしてもパン寄りの仕上がりになってしまって、スコーンとしての究極的な美味しさからはちょっと離れちゃう気がするんですよね…。

 

しかし高温で焼こうとすればするほど、表面ばかりが焦げてしまって、中まで火が通らない。果たしてどうしたものか……

 

そこで辿り着いた答えが文明の利器アルミホイル。いやはや最近は便利になったものです。焼いている途中でサッとアルミホイルを一枚全体に載せてしまうのが手軽で且つ、大変効果的です。ホイルさえあれば不思議なほど表面が焦げることがなくなりますので(クッキーなんかでも同じですね)表面の焦げ、焼け過ぎを心配することなく、中まで火を通して、適当なところまでふっくらさせることができます。

 

高温+短時間+ホイル作戦 で、中まで火を通す、のがおすすめです…!

 

最初は僕も180℃ 20分説を採用していたのですが、やはりどうしても水分が多めに飛んでしまってパン寄り… 決してパンではないのですが、スコーン界の中ではパン寄り… というニュアンスになってしまいます。

 

あのサックリとしていつつも、ミルクの水分も多く含まれていて、スルッととろけるような繊細で滑らかな口溶け… あの感じを実現するには、より高温で、短時間で、という形が良いという結論に達しました。

 

とは言えオーブンは本当に個性豊かで、個体差が激しいので、ご自宅のオーブンの特性に合わせて、温度調整を頑張ってみてくださいませ。

 

そういったわけで、今回はダイアナさんとの思い出のスコーン… 現代においてはマッカーシー夫人のマッカーシースペシャルであるところの、英国一流の美味しさ、苺のスコーンのご紹介でした。

 

…こうして苺のスコーンを作って食べるたび、『マダム・バタフライ』初演のあの季節を思い出さずにはいられません。気候としては既に大分寒い時期ではありましたけれども、ある意味ではあの日サンルームで頂いた紅茶とスコーンのように、熱くて、暖かい日々でした。

 

皆様もぜひ、英国気分を堪能しながら、美味しいスコーンとアフタヌーンティーをお楽しみくださいませ。

回顧録回顧

誰に聞かれているのかは分からないけれども、おそらく誰かからのインタビューに応える形式でしたためてまいりました本ブログ。

 

ですが、サクラファンの方に発見されず寂しい思いをしていましたので、モチベーションが保てず、長らく放置しておりました。なのですが、最近訪問してくださる方が増えている様子なので、余裕が出ればまた始めてみようかと思っております。

 

サクラ大戦……しかも紐育篇に強く思い入れのある方がどれだけいらっしゃるのか……果たしてそれはわかりませんが、同好の方よりコメント等頂けますと、強いモチベーションになりますので、構ってやってくださると嬉しゅうございます。というか、そうでもなければモチベーションが……

 

個人的にアメリカ文化も好きですので、書くこと自体は楽しいのですが、いろいろと史料などを引っ張り出し、間違いがないように気を付けながら、細部まで想像力を駆使して書くことになりますので、結構労力がかかるのです。

 

とはいえ《『マダムバタフライ』におけるダイアナ・カプリス氏の革命的アプローチ》などは、本当に、きっとそんな感じだったんじゃないかな……と思える出来栄えで、個人的にも会心の解釈ができたと自賛しておりまして、またそのようにサクラ世界をもうひとつの歴史として真剣に解釈する遊びは贅沢なものだと思いますし、続けられれば良いなとは思います。

 

(また、あの解釈は是非とも松谷彼哉氏にお届けしたいと思っております。これまで公式においては、ダイアナさんをピンカートン役に配したことに関しては(もちろん本当は単に劇中劇へのキャクター配置の都合なわけですから)その違和だけが言及されていましたが、ダイアナさんによってあのような工夫がなされていれば、評判を取ったという設定にも説得力が生まれるのではないかと思いますし、松谷氏に今一度ダイアナ・カプリスのことを想って頂くきっかけになれば、いちサクラファンとしての幸いであると思っております。)

 

果たして今から始めるサクラ大戦回顧録に意味があるのかはわかりませんが……

 

これよりの令和の時代には、ますますサクラ大戦が標榜するところの世界観、つまりは、誰しもに対して優しく、誰しもが幸せに生きられる社会のビジョンが重要になるはずであると思います。

 

経済上の不況ではなく、初めて本当の意味での縮小を経験し、つまりは資本主義というシステムの本質的な限界に直面し、アメリカもまた初めて本気で喘ぎ、変わろうとしているこの時分。

 

はるか時を経て、場所を経て、もちろん社会主義だの資本主義だのという古い時代のイデオロギーをも超えて、優しい社会のビジョンを提示できるのは、ある種の客観的な視点から資本主義を見つめてきた、日本に生きてきた人たちであるはず……

 

ただしそれは、資本主義に浸かりきった視野狭量な人物ではなく、サクラ大戦の本質的な良さを理解できる人たち、あり得たかもしれない、もうひとつの歴史を想像できる方々であるはずです。

 

広井王子氏が行った仕事とは、分断された戦前と戦後を、その文化を、その精神性をつなげる、ということだったのですから。